本作品は2007年2月イタリア-ジャポネコンテンポラリーダンスフェスティバルにおいてproject suaraとしてイタリア2都市で発表した同タイトルの舞台作品によってあらたに切り拓いた境地を、まったく別なる音楽作品として昇華したものです。前作「sketch 2006」では徹底したテクスチュア・存在することへの追求を見せた種子田が、今度は静寂や沈黙に耳を澄ます中で時間の一方向性に対する独自のアプローチを展開し、その概念を獲得する以前の生命のまなざしについて作品を体験する人に問うことをテーマとしています。

＜コメント＞

・小野 晋司（青山劇場プロデューサー）
身体のなかの静けさを知る

・吉田 寛 (美学芸術学・音楽学)
「世界は音でできている」──種子田郷のパフォーマンスの洗礼を受けた後で、私が真っ先に抱いた感想はこれである。むろん、この種の認識自体はとくに真新しいものではない。われわれはすでに前世紀中に、ケージによる無作為の音楽やサウンドスケープの発見を通じて、似たような経験をしてきた。しかし、種子田の生み出す音の世界は、それらとは明らかに異なる次元を切り開いている。
　横浜美術館での『セクエンツィア〜さひづる庭』(2006年)や横浜・ZAIMでの『蛹〜chrysalis』(2007年)、あるいは青山円形劇場での美加理との共作『Flowers'』(2008年)の公演にふれて、そして彼のスタジオワークを見学して、私が理解できたことは、音楽家・種子田郷の目的が、われわれの身体を取り囲む空間、建築物、そして空気全体をあまねく「音」として鳴り響かせてしまうことにある、ということだ。音は空気であり振動であり、また空間や建物はそれ自体の波長や振動を持っている。種子田のパフォーマンスは、それを肌で教えてくれる。きわめて高性能の録音機材とソフトウェア、スピーカーを使って、そしてもちろん、驚くべき音楽的センスとテクニックを通じて。いわば彼はあらゆる空気、空間、場を「可聴化」するのだ。本来は耳に聞こえないはずの音すらも、彼の「魔術」にかかれば聞こえるように変換され、さらには「静寂」それ自体も音として感知されるようになる。しかもそれらは、可聴域から少し外れているだけで、実際にはわれわれの皮膚がすでに経験し、知っていたはずの音なのだ。
　ヨーロッパの音楽理論の伝統では、古代以来、ムシカ・ムンダーナ（宇宙の音楽）という人の耳には聞こえない神秘的な音楽の存在が考えられてきた。近代以降の経験主義の中で、その伝統は失われてしまったが、種子田の音楽はまさに21世紀が再発見したムシカ・ムンダーナであるといってよいだろう。彼の音楽を聴くことで、われわれは世界そのものを新たに聴き＝捉え直すことになるのだ。その意味で音楽家・種子田郷は──今日ではすでに稀有な存在だが──世界認識を語る（ことができる）芸術家の一人である。
　さてそんな種子田の新作『vision in black』は、われわれにどんな世界を聴かせてくれるのだろうか。